2012/08/28
「ブータンのうさぎさん」という見出しなのに、ブータンのうさぎさんが出てこないことに気がつかれた方もいらっしゃるかと思います
残念なことに、ブータンではうさぎグッズを見つけることはできなかったそう。
で、うさフレさんが、ブータンで唯一見つけたうさぎさんが、この写真の絵。

象の上に猿、その上にうさぎ、そのまた上に鳥さん(切れちゃっているけど)が乗って、木から実をもいでいる絵です。この絵は、下のお話を子供達に説いて聞かせるように、町のあちこちに描かれているそう。
今、動物たちが協力をしあって実をとっている木は、ずっと以前に鳥が種を落としたものです。
うさぎは穴を掘って、その種を土に埋めました。
猿はその木の芽に堆肥を与えて育てました。。
そして、象は自分だけで実を取ることができるのに、この3匹に敬意を表して、彼らを背中に乗せ、実を取らせています。
とても単純なお話ですが、全てが依りあいながら在る事を説く縁起、そして利他心(菩提心)、と仏教的な深い思想を感じさせます。
実は私。お寺に通うずっと以前から「ダライ・ラマ法王」のファンで

、チベット仏教について書かれた彼の本を少しだけ読んでいます。

↑何度も読んだり、うさぎに齧られたりしてボロボロの本
この中の一冊「幸せになる心」の中でダライ・ラマは利他心の大切さにについてこう説いていました。
あなたが自分自身から他者に目を向け、関心を深めていき、他者の幸せを大切にしようと考えていくなら、きっとあなたの人生に活路を見出し、実現に向かって前進する一助になるでしょう。言い方をかえれば、利他心を培っていけば、宗教的見地からだけでなく、世間的な面でもプラスになり、長い目でみた心の豊かさのみならず、速攻性のある形で返ってくるでしょう。
私自身の経験からいっても、利他主義を実践し、他人のために何かをしていると、じきに心が静まり安心感が得られます。利他心というのは実に即効性があるものです。
…中略
要するに私はシャーンティディーヴァのこの言葉にまったく賛成です。
これ以上何をいう必要があろうか?
己の利益のためになす愚かな行
他者のためになす仏の行
この両者の違いを見るがいい
己の幸せを他人の不幸と入れ替えられないなら
菩薩の座にはつけないだろう
輪廻においても喜びはないだろう
この世の不幸の元は、自分のことだけを考えることにあり
全てのしあわせの元は、他人のことを考えることにある
ブータンといえば「しあわせの国」。
決して物質的に豊かではない人々が、穏やかに暮らし、しあわせを感じていられる理由の一つには、ブータンの国教となっているチベット仏教の価値観が、ありとあらゆるところで人々の生活に溶け込んでいるからかもしれないと…。
四匹の動物を絵を観ながら、そう感じました。
にしても、シャーンティディーヴァの言葉って

。
そりゃ、賛成はするけど…こんなん絶対できないよ…。




酒すら辞められないんだもんねぇ~~~。