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ホアキン・フェニックスのアカデミー賞受賞スピーチ

私は彼のお兄さんのリバー・フェニックスが大好きで、彼がドラックで死んだ。。。と聞いた時にはショックを受けました。
リバーの透明感、天使のように世俗離れをした雰囲気、ギリギリで精神の均衡を保っているような危うさ。。。それらが醸し出す美しさ。
人間としても、役者としても将来がとても楽しみな人だったのに。。。
23歳で、しかも、よりにもよって、ドラッグで亡くなるとは。。。と悔しかった。
でもリバーは生きていたのですね。
アカデミー賞受賞という社会的栄誉を得た席で、こんなスピーチができるのは、リバーが愛した弟、ホアキンだけだと思います。
ホアキンの反体制、どんな場でも、どこまでも弱者の側に同事をする姿勢に、リバーのたましいが生きているのを感じました。
彼がスピーチで語った「演技がもたらしてくれた最大の贈り物は「声」を「声無きもの」のために使う機会だ。」の「声の無い者」。
それは、この世を去ったものでもあるような気がします。



日本が売られる

堤未果さんの最新刊「日本が売られる」を読み始めました。
堤さんは以前の著書で、グローバル企業に乗っ取られ、ボロボロにされたアメリカの現状、そして政治とグローバル企業、世界経済が結びつき、それが世界を覇権してく恐ろしいカラクリ(構造悪)を膨大な資料と、地道な現場取材を元に書いています。
そして、今回のこの本には「日本という国土、そして日本の民が」アメリカのようにボロボロにされていきつつある現在の危険を書いています。
今、丁度モンサイトの除草剤の「ガン問題」が、ネットの一部で騒がれ、また「立憲」から立候補した須藤元気君の掲げた政治課題がこの農薬問題なので、そのあたりを、この本からブログに抜粋します。
日本の官僚のモンサイトへのフドぶりが凄い。
いや、もう、フドを超えて、売国奴かも。。。。

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【日本とアメリカは二人三脚でグリホサートは安全だ】
使っているうちにどんどん使用量の増えるグリホサートが人の健康に及ぼす影響について、やがてあちこちから疑問の声が出始める。わずかな量でも生き物の腸内細菌や神経系統、消化器や生殖器に、マイナスの影響があることがわかってきたのだ。
アメリカのソーク生物医学研究所のデービット・シューベルト博士は、グリホサートの蓄積が、ガンを含む多くの健康リスクをもたらすと警告を出した。
アルゼンチンでは、微量のグリホサートを使った実験で奇形の発生が確認され、グリホサートに汚染した地下水によって、周辺地域の住民にがんが平均の41倍発生、白血病や肝臓病、アレルギーなどの健康被害が報告されている。
オランダ、デンマーク、スリランカ、コロンビアはいち早く使用を禁止し、ヨーロッパでも反対の声が大きくなってく。
一方日米両政府は、この間ずっと二人三脚でグリホサートの危険性を否定し続け、製造元のモンサイト社は、健康被害を示す数々の報告は化学的根拠に乏しいと批判しながら、安全性を主張している。(ただし、その調査データは未公開だ)
中略
グリホサートに耐性を持つ雑草の出現については、さらに強力な除草剤「2、4-D」で枯らせば良いという結論になった。「2、4-D」はモンサイト社がベトナム戦争時代に製造していた枯葉剤の主成分で、これならグリホサートが効かなくなった雑草でも、間違いなく全滅させられる。
中略
2018年5月9日。厚労省の「農薬・動物用医薬品部会」は、除草剤「2、4-D」の残留基準を大きく緩めることを提案した。これによって小麦・大麦・ライ麦においては、今までの四倍、りんご、西洋梨、ジャガイモやレモンなど、その他、複数の農産物に対しても枯葉剤の使用量が今より増えることになる。

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軍事に拠らずに世界・他国(日本)を侵略する。
そういったグローバル企業のやり方が書かれています。
その犠牲となるのは社会的・経済的に弱い立場のものからです。

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実はグロバの最大の犠牲となっていたのはアメリカ。
そして魅力的な資源を持った国々。
この本でアメリカの貧困の現実やリビアのカダフィ大佐の失脚の真実を読み、自分がマスコミの情報コントロールの中にいたことを知り呆然としました。

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グリホについて他国が規制を厳しくする中、2017年12月に残留基準値を最大400倍緩和。
日本はグリホ使用量絶賛拡大中!

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遺伝子組み換え作物は家畜の飼料などにも使われていますね。
グリホサートは、今までは体内に残留することはないと言われていましたが、それが事実ではないことが明らかになりました。
たとえ、グリホを直接に摂取することを避けても、食肉を通して、グリホサートを摂取することがあるのではないではないでしょうか。

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堤さんの本やネットで知った、グロバと政治の結びつき、世界政治の構造を他で確認をしたくて読みました。
・・・・いや、ホント「トランプ」が当選してくれてよかった。
アメリカ国民が「トランプ」を当選させた理由がよく理解できます。




河合隼雄さん

先月のことになりますが、河合隼雄さんが亡くなられました。
2002年から3期に渡り、文化庁長官も勤めていらしたので、ご存知の方も多いと思います。
彼は日本人で初めてユング派分析家の資格を取得、そして臨床心理療法家として、多くの方の治療に携わり、またその見地から、独自の心理学の世界を構築していかれました。

私が初めて、河合さんの本に触れたのは、もう十五年以上前になるでしょうか…。
どんなきっかけで彼の本を手にとり、そしてどの本に最初に手にとったかは忘れてしまったのですが、それからずっと河合さんの本を読み続けてきました。
それは社交や処世術が苦手で、心に非常に弱い部分を持った(と自分では思っている(笑))私にとって、生きていくための素敵な糧であり、いつも側に置ける、やさしい助けでした。

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文章は、本は、人を奥深くまで、映し出します。
ちょっと有りえないくらいの、微妙な偶然の重なり(シンクロニシティ?)で、私が会うことのできた、河合隼雄さんは、私が彼の本から感じていた通りの人でした。

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写真は1997年ですから、河合さんは六十九歳。
でも、その第一印象は「軽やかな少年」それに「禅僧のような方」だったのです。


「禅僧の雰囲気」
この部分は、河合さんの心理療法家としての姿勢が、そのまま、彼に現れていた気がします。

河合さんは、著書「ユング心理学と仏教」の中で、彼が治療者として、クライエントと向き合う時のことを、禅宗二つを用いて、こう書いています。

私は心理療法でクライエントと向き合っている時、曹洞宗の僧が強調する「只管打座」という言葉を想起することがあります。
「治療」とか「解決」とか言うことにとらわれずただ座っている。そのように感じる時があります。
これはそうなっている時がある、というのであって、それを目標にしているのではありません。

臨済宗の「公案」という点でいえば、私はクライエントの訴えを禅の公案に似ているなと感じることがよくあります。
禅の「考案」の有名なのに「両手を打ち合わせると音がするが、片手のはどんな音か」というのがあります。
素人判断で考えても、これは合理的思考によって答えが出ないことはあきらかです。
つまりこれは表層の意識による思考に頼らず、より深層の意識へと全人的にかかわってゆくための一つの契機として「公案」が与えられていると考えられます。


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河合さんは亡くなられましたが、彼の存在が残したもの、そして私が彼から頂いた言葉は、生命力をもって私の中にあります。

河合隼雄さんに、それに彼との縁を結んでくれた全てに、この場をお借りして「ありがとう」を。

そして最後を、河合隼雄さんの本(ユング心理学と仏教)から、彼が引用なされた詩で治めたいと思います。


1000の風

私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにいません。
眠ってなんかいません。

私は千の風になって
吹き抜けています。

私はダイアモンドのように
雪の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には
やさしい雨になります。

朝の静けさの中で
あなたが目覚める時
私は素早い流れとなって駆け上がり
鳥達を空でくるくる舞わせています

夜は星になり、
私はそっと光っています。

どうか、その墓石の前で
泣かないでください。
私はそこにいません、
私は死んでいないのです。

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★大好きな人のことを書いて、ブログにあるまじき長さになってしまいました(^_^;;。
読んでくださった方、ありがとうございます。



ハンニバル(本・感想)


ハンニバル

話を読み進むにつれ、奇妙な違和感を感じ始めた。
これがトマス・ハリスの作品なんだろうか?
磨き抜かれた職人技のように、削ぎ落とされた的確さを持つ表現力と、バロック音楽のように幾何学的で滑らかなリズムを持った構成。
作品のあちこちに散らばる、人間の卑俗さや虚栄に対する嫌悪、は確かにハリスの観点と筆致なのだが。

「レッド・ドラゴン」「羊達の沈黙」と、トマス・ハリスは犯人像をプロファイリングし、そこから事件を解決していく有能なFBI捜査官を書いてきた。
「ハンニバル」はその続編となる。

プロファイリングは、情報の断片という、さまざまな光源を頼りに、人の内面の深い闇を探りながら、その中でじっと目を凝らし、一人の人間の輪郭をスケッチしていく作業だ。
人間の内面の闇を探る捜査官の描写は、読むものに未知で危険な異所に踏み込んでいく時の緊張感やスリルを味あわせ。
探る者と、探られる者が、闇の中で一瞬触れ合った時、シンパシーにも届きそうになる人間心理のあやうさは複雑な戸惑いになる。

やがて闇の中からくっきりと浮かび出してくる、リアルな表情を持つ人間像は、まるでレンブラントの肖像画のように見事だ。
そしてその人間像から読めるのが、ひとつの刹那を含む犯罪の行方となる。

こういった、人間をただの一面で見ずに描こうとする、知に含まれる聡明さ、やさしさ。
また、相対化しようのない、複雑な人間の感触を感じさせるものが、前作までのハリスの小説にはあった。
しかしこの作品にはそれがない。
私の感じた違和感の原因は、この作品の登場人物が、皆一様のしらじらとした一面の光だけで照らされているように見えるからだろう。

そして、何より私を落胆させたのは、この小説の帰結だ。
全ての醜いものは退治され、心理的障壁をも乗り越え、クラリスはレクター教授と結ばれる。
しかし、この結び付きは男性側の自我の拡大化と、過去の思い出の修復でしかなく。
彼と対立してきたクラリスの自我は、相手の自我の根幹に何の影も変化も落とさない。
なぜなら、悲痛な使命感と正義感で自己を全うしようとする、羊達の沈黙の声に共振するクラリスの凛とした自我が殺され。
ただ美しく、賢く、やさしい、自分の恋人だけを甘く包みこむ、単なる相手の為の女となってしまったのだから。

このラストは、この小説の中に出てくる、どんな残虐な描写よりも私に吐き気を催させた。
 

 

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ブエノスアイレス(映画・感想)

 「ウォンの手が早く直らないように願った。幸せだったから」
身勝手でわがまま、高熱を出した人間に食事を作らせるような男、ウォン(レスリー・チャン)の世話をすることが、失いたくない幸せ。
そんな恋をしている主人公の男性ファイ(トニー・レオン)が彼、ウォンを失う。

ファイが感じることができるのは、まだ消えない彼への想いと、彼との思い出だけ。
それは2度と手には入らず、思いだす度に心を痛め付ける。
何故、失ってしまったんだろう、何故ここにいるはずの彼がいない?
世界を奪われ、どこにも自分の居場所を見つけられない孤独。

この映画の無言で海を眺めるファイのシーンは、こんな失恋の喪失感を観る者の心に見事に伝える。
ピアソラの曲が流れる数ショット。私はファイの痛みに共振し涙が出そうにもなる。

この映画の撮影中、失恋して泥酔したスタッフが、監督のオフィスを訪ねて来たという。
その時、監督は「I have been you」の曲を4時間に渡り何度も掛け直し流し続けたが、そのうちの2時間、そのスタッフはトイレに閉じこもっていたそうだ。
その2時間、彼がすすり泣いていたのか、寝ていたのか、監督は未だに知らないとか。
そんな痛みに触れない距離を知っている人のやさしさが、この映画は流れている。

この映画は男と男の恋愛映画ではなく、普遍的な愛と喪失の物語。
男と女、男と男、女と女、誰かとあなたの、それに私の物語なのだろう。
愛する者を失った全ての人に宛てられたオマージュ。

また、映画の後半に出てくるチャン・チェン(彼の役は素晴らしい)が、その明るさで主人公ファイの居場所のない孤独に道筋をつけるポジティブなラストもとても素敵だ。


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ガタカ(映画・感想)

人は何かに成ることに憧れていて、何かに成ることを回りからも要求される。
自分の望むものになる自由、その希望に向かって努力できること、これは本当にすてきだ。
しかし実際は自分がこれに成りたいと思ってみたところで、環境や条件、才能、また社会的差別などに阻まれることの方が多い。
この映画ガタカでは、何かに成りたいと本人が願う自由、努力できる希望を、社会が(DNA差別)が機能的に剥奪していく。

舞台は近未来、住民は完全にDNA管理をされている社会。
そこでは優秀な遺伝子の組み合わせによる受胎が一般的となり、子供は生まれ落ちた瞬間に遺伝子を調べられ、劣性とされる遺伝子を持った子供は不適正者と登録されていく。

この映画の主人公ビンセントは劣性遺伝子を持った不適性者だ。

ビンセントの父親は、宇宙飛行士になりたいと努力をする彼に言う。
「そんなことをいくらやっても可能性はない、お前は不適正者なのだから」と。
DNAに欠陥がある不適正者だから。
生まれた時に計られ、登録されたDNAが優秀でないからだめだ。
いくら努力をしたところで、不適生者に務まる訳はない。
DNAに欠陥のある人間は、社会の下層階級者になるのだ。

これが彼に与えられた社会の環境であり、壊しようもないような壁だ。
彼が彼自身であることに、社会は否定的なのだ。

しかしこの壁の存在を当然のものと納得し、それに従うことは、変えようのない自分自身であることを(DNAが違えば別人だ)劣性だと見ることだ。
また、それは自らがその差別社会の構造再生産に加担していくことにもなる。

彼は社会に、その壁に反抗していく。
「僕に何ができるか決めつけるな、やってもいないうちにできないと言うな。」
DNAを根拠とした社会の彼への決めつけ。
その差別は間違っている、と。

彼は事故で障害者となった他人、(DNA優秀者)と取引し、彼に成りすますことで、エリート中のエリートである宇宙飛行士の職を得、働き始める。
そしてそのエリート達の中も抜きんでた実力を示し、出世をしていく。
厳しいDNA管理の中、DNAを偽るという髪の毛一本落とせない、異常に神経を使う作業をしながら。
彼が回りを欺くため、寒々しい海辺で身体を洗うシーンは痛々しく切ない。

最後のシーン、宇宙に出る直前にビンセントは言う。
「忘れないでくれ、ぼくは任務(社会ができないと決めつけたことを)を完ぺきにやりとげた」
そう、ビンセントは自分が自分であることを請け負いながら、社会の差別の裏付けをひっくり返した。
彼が彼自身であることを、彼は社会(DNA差別)になどに否定させはしなかったのだ。

そして、自分を受け入れない地球を嫌っていた彼が宇宙に出た瞬間、地球の自分の居場所を感じるラストは哀しくて、嬉しかった。

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フォー・ウェディング

運命の人、ロマンチックラブ、そしてハッピーエンディング。
その人生最高の高揚をもたらす、永遠の愛を誓う舞台が、結婚式であるのは、世界中同じだろう。

この映画「フォー・ウェディング」は、主人公が、四つの結婚式と一つのお葬式を巡り、愛する人との出逢いを求め、悩み、多くの失敗を重ねた後に、自分の愛の形とパートナーを見つけていく物語。

主人公のチャールズの演じるのは、ドジで優柔不断のハンサムを、演じさせたら、たぶん世界1(笑)のヒュー・グランド。
彼の子供のように揺らぎやすい純な感性と、不器用なまっすぐさが、映画全体をとても好感の持てる、コミカルで明るいものにしている。
真実の愛と、幸福な結婚を夢見る、この映画の彼に、多くの人が共感し、きっと笑えるはずだ。
喜びにきらめく、華やかな英国式ウェディングシーンも一見の価値がある。

だが、この映画で私が一番、心が揺らぎ、愛する想いの真実を感じたのは、四つの結婚式の間に挟まれた、葬儀のシーンだ。
招待を受けた結婚式のパーティ会場で、突然の死にみまわれたのは、主人公の友人の、ゲイのカップルの一方。
彼等は深く愛しあい、一緒に暮らしていたが、もちろん、結婚はしていない。

その葬儀で、逝った彼の為に、残された一方は、こうスピーチをする。

「今の私の彼への想いは…。それは、言葉にはあらわせません。他の人の言葉を引用させてください。オーディンの詩こそ、今の私の気持ちです。」


時計を止めよ。電話を切れ。
吠える犬を黙らせよ。
ピアノもドラムも止めろ。

棺を出せ。
嘆きの列を通せ。

飛行機を空に飛ばし、空にこう書かせよう。
彼は死んだ。

鳩の白い首に黒い喪章を巻け。
警官は黒い手袋をはめよ。

彼は私の道しるべ。仕事の毎日、休みの日曜。
私の真昼、真夜中。おしゃべり、そして歌。

愛は永遠と思ったが、それは違う。

星も意味はない、一掃せよ。
月も太陽も排除しよう。
海も森も遠ざけよ。

慰めになるものは何もない。




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ふくふく

Author:ふくふく
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