【奥原晴湖展】 その2 稲村貫一郎さんはいい人だった。

講演が終わり、一通り晴湖の絵を見た私。
あとは、お外の撮影をして帰ろうと、晴湖のお墓でカメラを構えていたところ、後ろから高齢の男性に話しかけられました。
いや、話しかけられたというか。。。
「そこそこっ。(晴湖のお墓の隣にある小さな墓標を指差して)これがね。東京からずっと晴湖の世話をしてきた近藤夫妻のお墓。
ここんとこ、しっかり撮っていってね。」
と、指示されました。。。。。

実は、私、この講演会の受付の方には「新聞記者」に間違えられ。
講演会の後、客間に飾られてある、晴湖の絵を教えてあげた女性からは「もしかしてJCOMの方?」と言われ……。
(違うって。てかJCOM知らないし~。)
どうも、一眼レフカメラを持って、フラフラと写真をとっていると報道関係者みたく見えるのかもしれません。

ということもあったので「あー、このおじーちゃん、なんか勘違いしてるんじゃないかな~。」と思ったのですが、とりあえず素直に写真を撮りました。

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晴湖のお世話をしていた近藤夫妻のお墓。
このお墓は晴湖のお墓が建てられた時より、晴湖のお墓の敷地内らあったもの。なのに、なぜか、一時、晴湖のお墓の側から、遠く離れたところに置かれてしまったそうです。、
幸いなことに、関係者さんが気が付き、お寺に言って直ぐ晴湖の側に戻してもらったそうです。
この墓標の文字は晴湖が書いたもの。
晴湖は情が深く、とても面倒見のよい女性であったとか……。
彼女が長年にわたり仕えてくれた人を、とても手厚く葬られた様子が覗えます。

「それでね、この隣のはね、弟子の晴翠の墓でね……」と、続けて、とおじーちゃんは晴湖について、とてもとても詳しい説明を、私にしてくれます。
うーん、地元民でも、ここまで詳しいのは、なかなかいない。このおじーちゃんは何者だろう
「あのー、もし、よろしければ、お名前を聞かせていただけます?」とお尋ねしたところ。
「ワシは稲村。」
と、おじーちゃん。
稲村……。あー、稲村家って、代々に渡って、晴湖がとっても親しくしてた、晴湖の庇護者みたいな家じゃん。
それは、晴湖について詳しいはずだわ。納得。

※ちなみに稲村家の稲村量平氏は晴湖についての本を上梓しています。↓
【伝記、奥原晴湖 稲村量平著 大空社】
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そして、おじーちゃんが稲村家の人と知り、「あっ、これはチャンスかもしれない!ラッキー」と思った私。
え?何のチャンスかって?
ずっと以前、妻沼の晴湖ファンの集い「奥原晴湖を語り合う部屋。」を訪ねた時に聞いた。
「実は荻野吟子と奥原晴湖は知り合いで、吟子が医者を心ざしたのは晴湖の影響だったんんじゃないか?」という新説(?)を確かめる、チャンスです。
(この事を書いたブログはこちら「アイ ラブ メヌマ 3  奥原晴湖と荻野吟子」 )
「あっ、あの。じゃ、御存じでしょうか?晴湖の友人の稲村(貫一郎)さんは荻野吟子の旦那さんですよね。ひょっとすると、吟子と晴湖は面識があったりしたのでは?」
この答えで、私が、ずっと胸にひっかかっていた事(私はヘンな事がずっと胸にひっかかる人間なのです)の答えが出そうです。
私の胸は、ちょっこっと高鳴りました。
「そだよ、吟子と晴湖は、そりゃあ何回も何回も会ってるさー。」
おじーちゃんは、いまさら、何あたりまえの事言ってんの?って感じで、あっさりとお答え……。
「貫一郎はさ、吟子には、よくしてやっててさ、ずいぶん仕送りもして、面倒もみたんだ。
だから、吟子の後の奥さんと貫一郎の結婚式にゃ、吟子も出席してるんだ。」

……。
ちなみに荻野吟子の一生を書いた、渡辺淳一著の「花埋み」では貫一郎は、吟子を男嫌いにした、メタメタ酷い男に書かれています。
そして「吟子に学問での自立の道」を進めたのは、吟子の学問の師の娘、荻江ということになっているのです。
渡辺淳一著の「花埋み」には、貫一郎を強く非難する、こんな吟子のセリフもあります。
「道にそむいたのは向こうからです。あの人が夫の道にそむいたから、私も嫁の道にそむくのです。」
「男性はもうこりごりです。お嫁になんぞ一生いけなくてもかまいません。その方がどれだけせいせいするか分りません。」

うーん。前も考えたんだけど、これだけ恨んで離婚した元旦那の後添いとの結婚式に、普通出る?
いや、たとえ恨んでなくても、普通は自分の後の奥さんの結婚式には出ないと思う……。
でも、吟子は貫一郎の結婚式に出席するために、わざわざ東京から田舎に戻ってきているんですよね。
(吟子の時代の交通手段は籠とか馬車。東京から熊谷は結構大変な移動。)

ちなみに、この話を聞いた後、ちょっとネットで貫一郎の事を調べてみたら、こんな記録もありました。
レファレンス共同データベースより。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000187616
■「協議離婚成立」に、「離婚の上、ぎんを貫一郎の妹分として遇する」と話し合った旨記述あり。
■「その後も親戚づきあいすることになり稲村貫一郎の再婚の式には吟子は妹分として参列した。貫一郎の再婚の女性は吟子の姉友子の知人の「フサ」さんという方である。」

……「妹分として遇する?」「親戚づきあい?」「おまけに貫一郎は吟子のおねーさんの知り合いと再婚?」
うーん。これ、また、小説と全然違う。。。。

さて、稲村氏の言うことと、小説家「渡辺淳一」の書いたこと、どちらがより真実に近いのか?
ま、晴湖のよき理解者、庇護者としての貫一郎の、自立した女性に偏見のない、面倒見のよい性格を考えれば、稲村氏の証言の方が符合しますよね。。。。
渡辺淳一。たぶん、小説を面白くする為とはいえ、なんかな~。
そして、やっぱり、吟子が自立する女性を目指し「女医を志したのは」晴湖の影響が大きかったんじゃないのかなぁ。。。。

このはっきりした答を知っている一人は、このお墓の下に眠る晴湖。。。。

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なんだか、晴湖さんだったら、豪快に笑いながら、「そう。あの子を焚きつけたのは私よ。」と言ってくれそうな気がします。

↓下は貫一郎さんと三人の奥さんのお墓。。。
吟子の話をしたら、おじーちゃんが案内をしてくれました。

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貫一郎さんは「花埋み」に書かれている「吟子の男嫌いの元凶」ではなくて。
自立を目指す女性の味方。この時代には珍しいフェミニストだったのかもしれませんね。

合掌。

【奥原晴湖展】 その1 晴湖観音


4月21日、熊谷市の龍淵寺で「奥原晴湖(と弟子)」の絵の展覧会&「奥原晴湖の生涯と芸術」をテーマにした講演に行ってきました。
(アップが遅くてゴメンナサイ)

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広い本堂が、いっぱいになる人出でした。150人くらいの記帳があったそうです。

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お堂いっぱいに展示された、奥原晴湖とその弟子たちの絵。

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以前、このブログでも少しご紹介させていただいた「奥原晴湖」は明治初期の女性南画家。
彼女の自由奔放で豪快かつ大胆な作風は、維新期の気風に乗り人気を博して、一世を風靡しました。
最盛期には弟子が300人(なんと岡倉天心も彼女の弟子になっています。)。
また、木戸孝允と深い親交があり、彼の紹介で宮中にあがり皇后陛下の前で揮毫もしました。
しかし、やがて南画の人気は衰退。晴湖は55歳のときに東京を払って成田村上川上(埼玉県熊谷市)へ隠棲します。

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この方は今回「奥原晴湖の生涯と芸術」の講演をしてくださった、熊谷市立江南文化財センターの山下祐樹先生。
寡聞で世間からズレテいる私は知らなかったのですが、熊谷市では、結構、著名な方で「金子 兜太先生」との共著で本も出されています。
今回の展示会、この方の講演を目当てにいらした方も多かったようです。

この講演で、山下先生は、晴湖の軌跡を、体系立てて、分りやすく、詳しく話してくださり、そのおかげで、今まで私が聞き齧っていた、断片的な点の晴湖の情報が線で繋がり、晴湖の色々な面が見えました。
また、あまり知られていない、南画の技法などについても、日本画の世界を知らない人にもに分りやすい説明がされ、とても勉強になる、素敵な講演でした。

そしてこの講演の中で、山下先生が示された、とても鋭い考察が、私の胸に残りました。

「普通の画家は精緻で写実的な描写から、大胆でダイナミックな表現に変っていくのに、晴湖はその逆です。
不思議なことに、大胆な表現から、写実的で精緻な絵になっていったのです。」
(こんな言葉ではなかったと思うんですけど、こんな要旨。かなり違ってたらゴメンナサイ~。)

私は、今まで晴湖の絵を時系列でみていなかったこともあり、こんなことは全く気がつきませんでした。
山下先生の言うように、これは不思議なことです。
どうしてなのでしょうか?
……ふと私の頭に浮かんだのは、以前読んだ、上野千鶴子氏の本の一節でした。
上野千鶴子氏は日本のフェミニストの代表といってもよい方、そして、その鋭い弁舌と論理力で男社会のエゴと不条理を喝破してきた女性です。その彼女が「ミッドナイトコール」という著書の中でこんな文を書いているのです。

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-あなたの文章はね、ボクにはとてもよくわかります。男の論理で書いてありますからね。
「女性問題に造詣が深いと言われている、某大が各の男性教授が、私に向かってそういった。
>>中略<<
このところ、あまり怒らなくなったわたしが、ひさしぶりに怒りで身体が震えた。
-私はね、男でも女でもありません。私はフリーク(異形の者)です。
私は男の世界でもフリークだし、女の世界でもフリークです。だから男の言葉で女の心が書けるんです。
思わず、そうタンカを切ってしまった。
>>中略<<
女に論理性なんぞ、はなから認めない社会では、女が論理的な文章を書くと「男みたい」と言われる。論理には男の論理だけがあって、女がそれに対抗しようとすると「女の非論理」を持ってくる他ない。
とは言え、私が自己表現の為の論理やボキャブラリーを学んだのは、男仕込みの学問からだった。敵の戦法を学んでみると、同じ武器を使って、相手の内懐に切り込むことができた。
だが同時に、自分のコトバを奪われた植民地の二世のような哀しさともどかしさがつきまとう。

上野千鶴子 ミッドナイトコール(朝日新聞社)より。
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奥原晴湖が生まれ活躍をしたのは幕末から明治にかけて、社会における女性の立場は非常に弱く、男性と同じ人権などは、はなから認められていなかった時代です。
武家の出自で、男勝りの性格とはいえ、男たちの中で南画を習得すること、またそれで身を立てることは大変な困難と圧力があったと思われます。
また、彼女が、成功し名声を得たことに、羨望と同時に嫉妬からや羨みからの世間の風当たりも強かったのではないでしょうか。
どんな時でも「女のくせに」という中傷が絶えることはなかったと思います。
晴湖は、それらから逃れる為にも、いわば一種の保身・処世術のために、女性性と言われる繊細さを極端に封印し、男性性の強い豪胆な絵を書き、男勝りの「奥原晴湖」を作り上げたのではないでしょうか。。。。


また、新井恵美子著の「岡倉天心物語」にはこんな一節がありました。
これは、小説ですが、晴湖の弟子であった、天心が当時の師匠の晴湖に向けた言葉です。
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「奥原先生、しょせん、女は女。男は男ではないですか。男になろうとして先生は大事な母性を捨てようとしておられる。愚かなことです。」覚三(後の天心)は晴湖に面と向かって言った。
晴湖の表情が変わった。
「子供に何が分るのか。生意気に過ぎる。」晴湖は怒った。
この少年に自分の全存在を否定されたような侮辱を感じてしまったのだ。
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 晴湖の擁護者であった木戸が亡くなり、人気も凋落をし、300人と言われた弟子もいなくなり、熊谷に隠棲をした晴湖。それは世間から見れば「落ちぶれた、哀れな成り行き」とも見えたでしょうが、ひょっとすると晴湖は、この隠棲で肩肘をはらねばならない大業な生活からの解放感を得たのかもしれません。
晴湖の絵が、豪胆でダイナミックな表現から、繊細でやわらかな描写に写った理由は、もちろん時代背景(フェノロサ、天心などよる日本美術概念の変化)もあったと思います。
が、その他に「南画の一流の絵描きとして、男のようにならねばならない」という、自らに課した重圧が、晴湖の人気の凋落と熊谷への隠棲で緩み、封印をしていた「女性性(繊細さ)」を、絵の中で自由に表現できるようになったのでは?と思うのです。

男でもない、女でもない、異形の者として生きた晴湖。
その鮮やかな生きざまを想う時、晴湖の絵の中から、今までとは違ったものが観えてきそうです。

下の絵は、晴湖が熊谷に隠棲してから書いた「阿耨観音」
実は観音さまも、男でも女でもない「フリーク・異形の者」なのです。

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マリアカラスフェスティバルとサウンドヒーリング


FBのお友達、星美智子さん(なんとうさぎ飼いさん)からお誘いを頂き、先日、10月21日、川口リリアホールで開催されたマリアカラスフェスティバルに行ってまいりました。

第15回マリアカラスリーフレット

今回、このお誘いを受けたのは、超ラッキーでした。
そもそも私はマリアカラスが大好き
(とは言っても、CD三枚レベルですが。。。)
&今の私のマイブームが(古いでーす。)音(波動)による癒しなのです。
最近、電磁波と波動のことを調べていて、サウンドヒーリングという分野を見つけ、その分野の本を読み漁っていたところ。

下は音によるガン治療を行い、多くの有効な臨床治療データを出した、ミッチェル・ゲイナー医学博士の本。
「なぜ音で治るのか」
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多くの人は「サウンドヒーリング」というと「音楽による精神的な癒し、心の安らぎ」といったものを連想するのではないでしょうか?
私も、今までは音楽による治癒効果というのは、音を受け取る脳からの働きにより、精神的な安定を導くホルモンが放出される。といったくらいのものだと思っていました。
ところがこの本「なぜ音で治るのか?」では、そういった効果だけでなく、直接「音」が細胞に働きかけ、ガン細胞などを死滅させるという驚くべき臨床実験データが書かれているのです。

以下は本文からの抜粋です。
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最も劇的な結果は、ママン(実験者)細胞に向かって音階を歌った時にに現れた。「極めて短時間で細胞の構造が壊れた。人間の声は、その振動の中に他のどんな楽器よりも強い力を持っている。それは意識だ……。
ガン細胞は、次第に蓄積していく振動周波数に耐えきれないように見えた。私が歌の中に三番目の周波数を加えた途端、がん細胞は不安定になり始めた。」ところが他の楽器、特に豊かな倍音を伴った銅鑼もまた、細胞を崩壊させ、ついには破裂させた。
実験室での発見に基づいて、ママンは次に、二人の乳がん患者に対して、一日三時間半、一か月にわたって音を聞かせるという実験を行った。一方のケースでは腫瘍は消滅した
もう一人の女性は腫瘍を切除する手術を受けたが、腫瘍は「縮小し、完全に乾いていた。」転移がなかったのその悪性腫瘍は摘出され、患者は完全に回復した。
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歌でガンが治る?そんなバカな~。と思いますよね。
私も、様々な電磁波の本、波動治療の本、祈りによる治療の臨床実験データの本を読んでいなかったら、ちょっとこれは直ぐには信じられなかったと思います。
ただ音が振動(波動)であること、そして私たちの身体の殆どが水でできており、水は音の波動に反応するもの。という事実を踏まえれば、この実験結果に納得できるのです。

……といったところで「じゃ、音で病気が治るのなら、毎日、CDでも聞いていれば……」と思う人もいるのではないかと思うのですが。
残念ながら、現在出回っているCDは規格により高周波部分がカットされており20~20kHzの音しか収録されていないのです。
この高周波部分部分がカットされたしまった理由については「人間の耳には聞こえないから」ということらしいのですが、実は耳には聞こえていなくても、身体細胞はそれを感じるのです。
つまり、CDの音は生き物にとって「不自然」な音なのですね。(それでも心理的な癒し効果はあると思いますが)
ですから、電磁波の問題もあるし、スマホのイヤホンなどで、音楽を聞くのはむしろ逆効果でしょう。

……てな訳で。
音のミラクルにハマりまくりの私が、行ってまいました「マリア・カラスフェスティバル」
どうだったかとい言いますと。

星さんの歌う「蝶々夫人」を聞いて泣いてしまいました。。。。。。
もともと、この歌は私の泣きのツボに入ってしまう歌ので、あまり歌の意味を考えないで聞くようにしていたのですが。。。
何も考えていないのに、歌声を聞いているだけで、胸がバクバクし、涙が勝手に流れ……。
「ぎゃーこんなところで、こんなに泣いたらマズイでしょう~。」
とほぼパニック。
最後のトリの部分なんて「お願い(涙が抑えられないから)早く終わって」ってと思ったくらいの涙。。。。
……なんでこんなに涙が出たの
何も考えないようにしていのだから、蝶々さんの身に同情して、あるいは彼女の気持ちに同調した自己憐憫のカタルシスの涙じゃないのは確か。。。

とすると、もっとスピリチュアル的なもの
うーん。。。。。

いずれにしても、本当に美しい人の声が、私の身のうちにある何かに働きかけ、響き、癒し、浄化をしてくれたように思います。

ひょっとするとガン細胞も殺してくれたかも。。。。
(人間の体には毎日5000個くらいのガン細胞が作られているらしい。)

星さん、素敵な歌声をありがとう~。
ほんとうに本当に、素晴らしく美しく澄み切った「蝶々夫人」でしたよ~

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↑左が星さん。「この細い身体のどこからあんな力強い声が?」と思うほどパワーに溢れた美声の方。
(持っていったデジカメの調子が悪くボケボケの写真。一眼もっていけばよかった~(涙))

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こんなに遅くなるなんてあんまりじゃないですかっ。おかーさん。
ストレスでガン細胞できちゃったかもしれませんよっ


と、コンサートから帰ったらぽんちゃが怒ってましたです。。。
ぽんちゃに夕飯も置いていかず、帰宅が11時過ぎになってしまいました。。。。
ごめんね

雨の竹寺 その2


さて、無事にお参りも済ませたので、お食事の為に庫裏に。
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「こちらの方でお待ちください。」と通された待合室には。
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やっぱり、いました。うさぎ
ちゃま姫が天界入りしてから、お出かけ先では必ずうさぎに遭遇します。。


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古い建物がそのまま残されているようです。
私好みの、大正ロマンな小物があちこちに。。。


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そして、待合室から、お食事用の個室に移動する時に、こんなお部屋を見つけました
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たっ、竹、生えてます……けど。。。イインデスカ?
家の中から竹を生やした良寛さんの話は読んだことがありましたが、まさか、ホントに家の中から竹を生やす人がいるとは

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さて、やっと、お食事です。。。。。
お食事は個室で頂きました。
和室にテーブル、白いテーブルセンターにグリーンの竹がとってもお洒落です
まずは天麩羅の盛り合わせ。
天麩羅は、柿、タンポポ、スイバ、わらび

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松の実。


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蕗の薹の天麩羅。

わっ、私の大好きな山上憶良の短冊付きです~

いざ寝よと 手を携わり 父母も 側 はな離り 三枝の中にを寝むと 愛しく
(お父さんもお母さんも側を離れないで、三枝のように真中に寝よう。)

ということで、蕗の上のお花は三枝、三椏(ミツマタ)なのです。
うーん。なんて風流なお料理なんでしょう。

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セリ、つくしの和え物。
短冊の歌は、
わが宿の いささ群竹吹く 風の音の かそけき この夕べかも
(わたしの家の小さな竹の茂みに吹いている風の、その音がかすかに聞こえる、この夕方であることよ。)


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竹寺の名月。
さつまいもの円相天麩羅です。

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にんじん、こんにゃく、山セリ、山椒の白和え。

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うはぎ(嫁菜)の和え物。

春日野に 煙立つ見ゆ 少女らし 春野のうはぎ 採みて煮らしも
(春日野に煙が立っているのが見えます。少女らが春野のうはぎを摘んで煮ているようです)

万葉の昔は、日常に嫁菜を積んで煮て食べていたのですね~。

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キュウリの上に載っているのは「岩茸」という苔。
一センチの成長に三年を要するという希少なもの。仙人の食とも言われる不老長寿の食材だそう。。。

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ご飯、ほのかに竹の香り。。。

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お蕎麦。

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デザート、竹笹羊羹です。

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この、お料理に添えられたお花はお持ち帰りくださいということなので、お土産に

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活けてみました

見わたせば 春日の野辺に 霞立ち 咲きにほへるは 桜花かも

お料理は一つ、一つ運ばれ&お住職の解説や法話付き。
とっても優雅な気持ちで楽しくお食事ができました。
こうして、後でみてみると、この料理で使われた食材には、家の庭にも生えているようなものが、結構ありました。
こんな風にお料理をしていただくと、野草も御馳走になるのですね。

この竹寺HPはこちらhttp://www.takedera.com/
私が行った時はあいにくの雨でしたが、晴れていたら、お花がとても奇麗に見られると思います。
ちょっとしたリフレッシュにお勧めです~。

ではまた~


雨の竹寺  その1 お参り

先日、パソコンの写真を整理をしていたら、ブログ用に撮影をしたのに、まだブログにアップをしていない写真がいくつか見つかりました。せっかく撮影したものなので、ちょっと過去の出来事になるけど、少しづつブログにアップをさせていただきます~。

ということで、今回は竹寺で頂いた「精進料理」の記事です。

埼玉県の飯能市にある竹寺では、春(三月~六月)秋(九月~十二月)に、お寺の周りの山野草を調理した精進料理が食べられます。
私は「わーいっ、精進料理~
ベジの私でも楽しく食べられる精進料理~
しかも、私の大好きな、山奥のお寺~。(←寺好き)
と、予約を入れてから、竹寺に行くのを楽しみにしていたのですが……。

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この日はあいにくの雨~春というのに肌寒い日。。。。でした。
(まぁいいですよ、べつに……外でご飯食べる訳じゃないしね~)


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そして、いきなり、怖い顔です。しかも、斧もってるし~
いや、怖い顔なんていったらバチがあたりますね。
これは竹寺の御本尊様「牛頭明王(ごずてんのう)」
竹寺は現在天台宗の僧侶が管理をされていますが、今ではとても珍しい神仏習合の寺。
(明治維新の際に殆どの寺院で神仏分離がされた。)
ですから御本尊様も、普通の仏教の神様ではないのですね。

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「神仏習合」なもんで鳥居なんてあります。

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お食事の前に本尊様に御挨拶。

【牛頭天王(ごずてんのう)は、インド祇園精舎の守護神ともいわれ、中国に入り、密教、道教、陰陽思想の習合があり、日本に伝わったとされています。さらに陰陽道との関わりを深め、また蘇民将来伝説とも結びつき、スサノオと同体とされています。当山では、疫難消除、除災招福、出世開運の「天王さま」として信仰されています。(竹寺のHPより。)】

えーと、インド(ヒンドゥー教?)で生まれて、それから中国に行って、密教やら道教を取り込んで、陰陽道かすって、スサノオ(神道)と同体となった???
つーことは、一回拝むと五つくらいの宗派を拝んだことになるかな~
なんて不謹慎なことを考えながら。。。
ふと、脇を見ると……。


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トッ、トーテムポール

…………牛頭天王はアメリカ先住民文化もかすったのか???

と、まぁ、冗談はともかく。(でもなんでトーテムポールみたいなのがあるんだろう?)

お寺のあちこちには、表情の豊かな、素晴らしい木像や石像がありました。

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と、言うことで、この続きは次の食事編で~

大我井神社の火祭り、おまけの裏話~(^^)。

はい。一回の行事でブログを五回も引っ張った上に、おまけまでつけちゃいます~

てね。。。そもそも、なぜ、五回もブログを引っ張ったかというと「今年はとっても特別な位置から写真が撮れた。」「&この火祭りをなるべく細かく、みんなにご案内したい。」ということがあったのです。

鋭い人は写真のアングルを見て気がついたかもしれないけど、今年の私の写真は神社本殿の中から撮られています。

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はい。これなんか、本殿に上がりこまなければ絶対に撮れない写真。。。

この火祭り、結構な数の素人カメラマンさん達が撮影に来ていたのですが、神社本殿に上がって撮影できたのは私だけなのです

で、どうして、今年は本殿に上がれて撮影ができたかというと……。
実は、去年のことなんですが、お祭りの撮影をしていたとこ、宮司さんからお声掛けいただいたのです。。
そして、ブログや写真の話を少ししたら。
「来年の火祭りは、事前に社務所の方に来ていただけたら、スタッフ扱いで写真を撮っていただけるように取り計らいます。」と、おっしゃってくださって。

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そして、今年はお祭り前に社務所をお尋ねして。

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頂いたのがこれ~。
富士浅間神社スタッフTシャツ~ッ
これを着ていれば、スタッフ扱い~♪どこでも撮影してOKの最強撮影アイテム~っ。

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それにお寿司まで頂いちゃった。
(このお寿司は聖天さま名物でおいしの~。)

かなり凝ったカメラを持った多数のカメラマン(10人以上はいた~)が、集まっていたとこ、なぜ、私にお声掛けをくださったのかな……と、この御縁の不思議さを感じ、色々と考えたりしたんですが。。。。

私はここ9年間、大我井の神さまにお水をあげ、榊を捧げて、感謝の祈りを毎日捧げたりしていたり……。
&神さま繋がりの、御縁と言えば、私自身は仏教徒で得度もしているのですが、私の父の生家は神社だったりするのですよね。

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雀神社にて。(現在は私の従兄が神官さんです。)

神様は色んな事を見ていらして、結構ネットワークとかもあったりするのかも。。。。

何かと不思議な偶然の多い私が、天の配慮に感謝を感じて、そして、ちょっと身を引き締められた、今年の火祭りでした。。。。

大我井神社の火祭り。その2


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日本神道では火を起こすことそのものが厳粛な神事です。
火はこの世の聖なるものを守護し、邪悪なものを浄化する力が秘められていると信じられています。
(龍村仁監督作品「ガイアシンフォニー7」より)


そして自ら産屋に火を放ち、その火の中で無事に出産を遂げ、その身の清らかさを証明した木花開耶姫が、ご祭神の大我井神社では、神官による火起こしから神事が始まります。

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今回の神事で使われる火起こしの道具です。。。。
(これでどうやって火を起こすのか?分った人はスゴイと思います。)


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まずは、聖なる神事を始めるにあたって、神官が神様に祝詞をあげます。

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それを見守る何人もの宮司さん達。
宮司さん達による、雅楽の演奏の中、非常に厳かな雰囲気が漂います。
(その中を撮影の為にチョロチョロと動き回るの、ちょっとだけ気がひけました。)

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そして、たぶん、この神社のメイン神官の息子さんと見られる方が、道具を手にし、火起こしの行事を行います。


さて、あの、謎(?)の道具でどうやって火を起こすのかと言うと……・。

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棒を上下させることによって、下の部分がグルグル回り、その摩擦力で火を起こすのです。。。。。

「え~?」と思った方、きっと多いですよね?

はい。当然ですが、この方法、ちょっとやそっとじゃの努力では火は起きません

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どうにか、その間を取り持つ(?)雅楽の演奏。。。。

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お外で神官の起こす火を待ちくたびれる巫女さん……。

……そして「あー宮司さまは、明日は筋肉痛だろうなぁ……」と思うくらいに、結構長い作業の後。

煙がでました~っ

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……しかし、この火が起きてからの作業も、また大変でした。。。。

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わずかな頼りない火ダネを、他素材に移して大きくしなければなりません。
これが難しい……。
息を吹きかけても、なかなか、うまく移らない火種。。。
というか、せっかく起こした火ダネが消えそうな気配もして、ハラハラします。。。。

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「うちわ。うちわ持ってきて~っ」と宮司さま。
うちわで煽いでもみる……。

……なんだか、このへんから、神事というより、も、火起こし職人の技をみている感じに……。
いやー、火をおこすって大変です。。。。。
昔の人が火を大切にあがめた理由がしみじみと理解できます。。。

IMG_1568.jpg

そしてこの聖なる炎が。
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IMG_1574.jpg

清らかな巫女に託されます。


大我井神社の火祭り。その3に続く




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