2013/01/09

小説は70万部を突破、そして昨年、映画公開された「のぼうの城」。
この、のぼうの城、行田忍城の成田氏の菩提寺がここ龍淵寺なのです。
そして小説の元となった、江戸時代の文献「成田記」もここに保存されています。

行田市郷土博物館の鈴木紀三雄先生。
そもそも、成田氏はどこから来たのか?という、成田氏祖先の話に始まり。
(都から藤原氏の末裔が国司として就任、そのまま、田舎のイコゴチがよくなって居ついてしまったとか(笑)。)
上杉謙信と成田長㤗との、仲違いの理由などの、かなり細かいエピソード。
そして映画のラストシーンそのままの、成田系図の文献の紹介など。
さすが成田氏の専門家~

と感じ入る、興味深いお話をたくさんしてくださいました。
それと、映画を見た方は、興味を持たれるかと思うのですが。
長親の、その後のお話もありました。
忍城落城後。長親は、長親の息子「成田長季」が、尾張に城を持つ家康の四男の家臣となったことから、その息子に同行し、尾張に移り住んだのではないかということです。
そして、その息子の息子が(長親の孫)が「成田記」を作ったそう。
つまり、映画の資料となった「成田記」は、孫がおじーちゃんとか、お父さんに、当時のお話を聞いて作った文献で…。
うーん。。。孫が作ったんじゃ、かなり身びいき強く脚色されただろうな~

と私は思ったりもしたのですが。。。。
ま、忍城が豊臣軍に最後の最後まで、屈しなかったのは事実。
坂東武者の無茶苦茶な痛快さには、変わりなしです


←坂東武者の末裔(笑)
このお話の後。。。

方丈様がお寺に保存をしてある、成田系図・成田記を見せてくださいました~

。

このお寺は昭和25年に火災にあっており、これはその時の焼け焦げの跡。


あっ

「ま、戦の天才ですから~」が口癖の?酒巻靭負の名前があります。
映画での彼の役どころ、特にラスト、甲斐姫とのシーン


よかったですね~。
さて「のぼうの城」のお話でワクワクモード♪になった私。


なんと、七年間、毎月、お寺に通い続けながら、一回も見学したことがなかった…成田氏のお墓にお参りをさせていただきました。
(まぁ、地元民ってこんなもんです

)