【奥原晴湖展】 その1 晴湖観音


4月21日、熊谷市の龍淵寺で「奥原晴湖(と弟子)」の絵の展覧会&「奥原晴湖の生涯と芸術」をテーマにした講演に行ってきました。
(アップが遅くてゴメンナサイ)

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広い本堂が、いっぱいになる人出でした。150人くらいの記帳があったそうです。

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お堂いっぱいに展示された、奥原晴湖とその弟子たちの絵。

200px-OkuharaSeiko奥原晴湖

以前、このブログでも少しご紹介させていただいた「奥原晴湖」は明治初期の女性南画家。
彼女の自由奔放で豪快かつ大胆な作風は、維新期の気風に乗り人気を博して、一世を風靡しました。
最盛期には弟子が300人(なんと岡倉天心も彼女の弟子になっています。)。
また、木戸孝允と深い親交があり、彼の紹介で宮中にあがり皇后陛下の前で揮毫もしました。
しかし、やがて南画の人気は衰退。晴湖は55歳のときに東京を払って成田村上川上(埼玉県熊谷市)へ隠棲します。

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この方は今回「奥原晴湖の生涯と芸術」の講演をしてくださった、熊谷市立江南文化財センターの山下祐樹先生。
寡聞で世間からズレテいる私は知らなかったのですが、熊谷市では、結構、著名な方で「金子 兜太先生」との共著で本も出されています。
今回の展示会、この方の講演を目当てにいらした方も多かったようです。

この講演で、山下先生は、晴湖の軌跡を、体系立てて、分りやすく、詳しく話してくださり、そのおかげで、今まで私が聞き齧っていた、断片的な点の晴湖の情報が線で繋がり、晴湖の色々な面が見えました。
また、あまり知られていない、南画の技法などについても、日本画の世界を知らない人にもに分りやすい説明がされ、とても勉強になる、素敵な講演でした。

そしてこの講演の中で、山下先生が示された、とても鋭い考察が、私の胸に残りました。

「普通の画家は精緻で写実的な描写から、大胆でダイナミックな表現に変っていくのに、晴湖はその逆です。
不思議なことに、大胆な表現から、写実的で精緻な絵になっていったのです。」
(こんな言葉ではなかったと思うんですけど、こんな要旨。かなり違ってたらゴメンナサイ~。)

私は、今まで晴湖の絵を時系列でみていなかったこともあり、こんなことは全く気がつきませんでした。
山下先生の言うように、これは不思議なことです。
どうしてなのでしょうか?
……ふと私の頭に浮かんだのは、以前読んだ、上野千鶴子氏の本の一節でした。
上野千鶴子氏は日本のフェミニストの代表といってもよい方、そして、その鋭い弁舌と論理力で男社会のエゴと不条理を喝破してきた女性です。その彼女が「ミッドナイトコール」という著書の中でこんな文を書いているのです。

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-あなたの文章はね、ボクにはとてもよくわかります。男の論理で書いてありますからね。
「女性問題に造詣が深いと言われている、某大が各の男性教授が、私に向かってそういった。
>>中略<<
このところ、あまり怒らなくなったわたしが、ひさしぶりに怒りで身体が震えた。
-私はね、男でも女でもありません。私はフリーク(異形の者)です。
私は男の世界でもフリークだし、女の世界でもフリークです。だから男の言葉で女の心が書けるんです。
思わず、そうタンカを切ってしまった。
>>中略<<
女に論理性なんぞ、はなから認めない社会では、女が論理的な文章を書くと「男みたい」と言われる。論理には男の論理だけがあって、女がそれに対抗しようとすると「女の非論理」を持ってくる他ない。
とは言え、私が自己表現の為の論理やボキャブラリーを学んだのは、男仕込みの学問からだった。敵の戦法を学んでみると、同じ武器を使って、相手の内懐に切り込むことができた。
だが同時に、自分のコトバを奪われた植民地の二世のような哀しさともどかしさがつきまとう。

上野千鶴子 ミッドナイトコール(朝日新聞社)より。
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奥原晴湖が生まれ活躍をしたのは幕末から明治にかけて、社会における女性の立場は非常に弱く、男性と同じ人権などは、はなから認められていなかった時代です。
武家の出自で、男勝りの性格とはいえ、男たちの中で南画を習得すること、またそれで身を立てることは大変な困難と圧力があったと思われます。
また、彼女が、成功し名声を得たことに、羨望と同時に嫉妬からや羨みからの世間の風当たりも強かったのではないでしょうか。
どんな時でも「女のくせに」という中傷が絶えることはなかったと思います。
晴湖は、それらから逃れる為にも、いわば一種の保身・処世術のために、女性性と言われる繊細さを極端に封印し、男性性の強い豪胆な絵を書き、男勝りの「奥原晴湖」を作り上げたのではないでしょうか。。。。


また、新井恵美子著の「岡倉天心物語」にはこんな一節がありました。
これは、小説ですが、晴湖の弟子であった、天心が当時の師匠の晴湖に向けた言葉です。
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「奥原先生、しょせん、女は女。男は男ではないですか。男になろうとして先生は大事な母性を捨てようとしておられる。愚かなことです。」覚三(後の天心)は晴湖に面と向かって言った。
晴湖の表情が変わった。
「子供に何が分るのか。生意気に過ぎる。」晴湖は怒った。
この少年に自分の全存在を否定されたような侮辱を感じてしまったのだ。
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 晴湖の擁護者であった木戸が亡くなり、人気も凋落をし、300人と言われた弟子もいなくなり、熊谷に隠棲をした晴湖。それは世間から見れば「落ちぶれた、哀れな成り行き」とも見えたでしょうが、ひょっとすると晴湖は、この隠棲で肩肘をはらねばならない大業な生活からの解放感を得たのかもしれません。
晴湖の絵が、豪胆でダイナミックな表現から、繊細でやわらかな描写に写った理由は、もちろん時代背景(フェノロサ、天心などよる日本美術概念の変化)もあったと思います。
が、その他に「南画の一流の絵描きとして、男のようにならねばならない」という、自らに課した重圧が、晴湖の人気の凋落と熊谷への隠棲で緩み、封印をしていた「女性性(繊細さ)」を、絵の中で自由に表現できるようになったのでは?と思うのです。

男でもない、女でもない、異形の者として生きた晴湖。
その鮮やかな生きざまを想う時、晴湖の絵の中から、今までとは違ったものが観えてきそうです。

下の絵は、晴湖が熊谷に隠棲してから書いた「阿耨観音」
実は観音さまも、男でも女でもない「フリーク・異形の者」なのです。

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