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【奥原晴湖展】 その2 稲村貫一郎さんはいい人だった。

講演が終わり、一通り晴湖の絵を見た私。
あとは、お外の撮影をして帰ろうと、晴湖のお墓でカメラを構えていたところ、後ろから高齢の男性に話しかけられました。
いや、話しかけられたというか。。。
「そこそこっ。(晴湖のお墓の隣にある小さな墓標を指差して)これがね。東京からずっと晴湖の世話をしてきた近藤夫妻のお墓。
ここんとこ、しっかり撮っていってね。」
と、指示されました。。。。。

実は、私、この講演会の受付の方には「新聞記者」に間違えられ。
講演会の後、客間に飾られてある、晴湖の絵を教えてあげた女性からは「もしかしてJCOMの方?」と言われ……。
(違うって。てかJCOM知らないし~。)
どうも、一眼レフカメラを持って、フラフラと写真をとっていると報道関係者みたく見えるのかもしれません。

ということもあったので「あー、このおじーちゃん、なんか勘違いしてるんじゃないかな~。」と思ったのですが、とりあえず素直に写真を撮りました。

IMG_0718_201805171400070f6.jpg
晴湖のお世話をしていた近藤夫妻のお墓。
このお墓は晴湖のお墓が建てられた時より、晴湖のお墓の敷地内らあったもの。なのに、なぜか、一時、晴湖のお墓の側から、遠く離れたところに置かれてしまったそうです。、
幸いなことに、関係者さんが気が付き、お寺に言って直ぐ晴湖の側に戻してもらったそうです。
この墓標の文字は晴湖が書いたもの。
晴湖は情が深く、とても面倒見のよい女性であったとか……。
彼女が長年にわたり仕えてくれた人を、とても手厚く葬られた様子が覗えます。

「それでね、この隣のはね、弟子の晴翠の墓でね……」と、続けて、とおじーちゃんは晴湖について、とてもとても詳しい説明を、私にしてくれます。
うーん、地元民でも、ここまで詳しいのは、なかなかいない。このおじーちゃんは何者だろう
「あのー、もし、よろしければ、お名前を聞かせていただけます?」とお尋ねしたところ。
「ワシは稲村。」
と、おじーちゃん。
稲村……。あー、稲村家って、代々に渡って、晴湖がとっても親しくしてた、晴湖の庇護者みたいな家じゃん。
それは、晴湖について詳しいはずだわ。納得。

※ちなみに稲村家の稲村量平氏は晴湖についての本を上梓しています。↓
【伝記、奥原晴湖 稲村量平著 大空社】
IMG_9844.jpg

そして、おじーちゃんが稲村家の人と知り、「あっ、これはチャンスかもしれない!ラッキー」と思った私。
え?何のチャンスかって?
ずっと以前、妻沼の晴湖ファンの集い「奥原晴湖を語り合う部屋。」を訪ねた時に聞いた。
「実は荻野吟子と奥原晴湖は知り合いで、吟子が医者を心ざしたのは晴湖の影響だったんんじゃないか?」という新説(?)を確かめる、チャンスです。
(この事を書いたブログはこちら「アイ ラブ メヌマ 3  奥原晴湖と荻野吟子」 )
「あっ、あの。じゃ、御存じでしょうか?晴湖の友人の稲村(貫一郎)さんは荻野吟子の旦那さんですよね。ひょっとすると、吟子と晴湖は面識があったりしたのでは?」
この答えで、私が、ずっと胸にひっかかっていた事(私はヘンな事がずっと胸にひっかかる人間なのです)の答えが出そうです。
私の胸は、ちょっこっと高鳴りました。
「そだよ、吟子と晴湖は、そりゃあ何回も何回も会ってるさー。」
おじーちゃんは、いまさら、何あたりまえの事言ってんの?って感じで、あっさりとお答え……。
「貫一郎はさ、吟子には、よくしてやっててさ、ずいぶん仕送りもして、面倒もみたんだ。
だから、吟子の後の奥さんと貫一郎の結婚式にゃ、吟子も出席してるんだ。」

……。
ちなみに荻野吟子の一生を書いた、渡辺淳一著の「花埋み」では貫一郎は、吟子を男嫌いにした、メタメタ酷い男に書かれています。
そして「吟子に学問での自立の道」を進めたのは、吟子の学問の師の娘、荻江ということになっているのです。
渡辺淳一著の「花埋み」には、貫一郎を強く非難する、こんな吟子のセリフもあります。
「道にそむいたのは向こうからです。あの人が夫の道にそむいたから、私も嫁の道にそむくのです。」
「男性はもうこりごりです。お嫁になんぞ一生いけなくてもかまいません。その方がどれだけせいせいするか分りません。」

うーん。前も考えたんだけど、これだけ恨んで離婚した元旦那の後添いとの結婚式に、普通出る?
いや、たとえ恨んでなくても、普通は自分の後の奥さんの結婚式には出ないと思う……。
でも、吟子は貫一郎の結婚式に出席するために、わざわざ東京から田舎に戻ってきているんですよね。
(吟子の時代の交通手段は籠とか馬車。東京から熊谷は結構大変な移動。)

ちなみに、この話を聞いた後、ちょっとネットで貫一郎の事を調べてみたら、こんな記録もありました。
レファレンス共同データベースより。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000187616
■「協議離婚成立」に、「離婚の上、ぎんを貫一郎の妹分として遇する」と話し合った旨記述あり。
■「その後も親戚づきあいすることになり稲村貫一郎の再婚の式には吟子は妹分として参列した。貫一郎の再婚の女性は吟子の姉友子の知人の「フサ」さんという方である。」

……「妹分として遇する?」「親戚づきあい?」「おまけに貫一郎は吟子のおねーさんの知り合いと再婚?」
うーん。これ、また、小説と全然違う。。。。

さて、稲村氏の言うことと、小説家「渡辺淳一」の書いたこと、どちらがより真実に近いのか?
ま、晴湖のよき理解者、庇護者としての貫一郎の、自立した女性に偏見のない、面倒見のよい性格を考えれば、稲村氏の証言の方が符合しますよね。。。。
渡辺淳一。たぶん、小説を面白くする為とはいえ、なんかな~。
そして、やっぱり、吟子が自立する女性を目指し「女医を志したのは」晴湖の影響が大きかったんじゃないのかなぁ。。。。

このはっきりした答を知っている一人は、このお墓の下に眠る晴湖。。。。

IMG_0716_201805171732534be.jpg
なんだか、晴湖さんだったら、豪快に笑いながら、「そう。あの子を焚きつけたのは私よ。」と言ってくれそうな気がします。

↓下は貫一郎さんと三人の奥さんのお墓。。。
吟子の話をしたら、おじーちゃんが案内をしてくれました。

IMG_0697_201805171732575c1.jpg

貫一郎さんは「花埋み」に書かれている「吟子の男嫌いの元凶」ではなくて。
自立を目指す女性の味方。この時代には珍しいフェミニストだったのかもしれませんね。

合掌。

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